【黒本明雄×社員インタビュー第5弾】苦しい時代を乗り越えてきた二代目、三洋金属への思いを語る

こんにちは、三洋金属広報部です!

リサイクル業界の「中の人」をご紹介し、少しでもリサイクル業界と三洋金属に親しみを持っていただこうという本企画も、5回目となりました。

前回までの記事はこちら!

【押目徳之×社員インタビュー第1弾】野球チームきっかけでいつの間にか勤続20年に
【岡本浩揮×社員インタビュー第2弾】ホテルマンからの転職!家族から応援される仕事に就ける幸せ
【脇本洋一×社員インタビュー第3弾】勤続年数23年、三洋金属と共に夢を叶えてきた
【黒本晋吾×社員インタビュー第4弾】大手からの転職、金属リサイクルを通じた社会貢献のために

今回は三洋金属の代表取締役社長、黒本明雄さんのインタビューをお届けします。
入社当時の現場での苦労や、先代からの大切な言葉、三洋金属やリサイクル事業への思いなど、たっぷりと語っていただきました!

入社の経緯

––三洋金属株式会社は、黒本さんのお父様(黒本 紀雄)が設立された会社と伺っています。

はい、先代が立ち上げた会社です。ただ、先代からは「すぐに三洋金属に入らず、まずはよその会社に行け」「大学を卒業したらよその釜の飯を食って、いずれ帰って来い」と言われていました。なので大学卒業後は三洋金属に入社せず、京都で家具屋と玩具卸の営業職に就きました。

そのあと岡山へ帰って来てからはしばらく、美容材料の卸でシャンプーやパーマ液などを売る営業職をやっていました。そして昭和62年、ようやく三洋金属に入社したという次第です。

当時の社屋

入社して大変だったこと

––入社したとき、会社はどのような状況でしたか?

当時はスクラップ業界そのものが困窮していて、三洋金属もとても厳しい状況でした。

スクラップ業界は相場がすべてを左右します。世界的な相場が仕事に影響するのですが、当時は相場も安く、生産しても納入先から数量の制限があったりしました。

メインに扱っているバッテリーの処理でさえも、逆有償といって、処理にかかる費用をお客様(排出者)からいただかなければならなかったほどです。会社全体が苦しい時期でしたね。

––入社当時のお仕事は何をされていましたか?

入社から3年ほどは現場にいました。

現場は「きつい、汚い、危険」の、いわゆる3Kの肉体労働です。
今のような機械処理ではなく、ほとんど手作業。バッテリーを1個ずつ自分で運んで切断していたので、肉体的にきついだけでなく危険な作業でした。
バッテリーの中には希硫酸という有害な酸が入っていて、それが顔に飛び散るとピリピリと痛いんです。けれど、顔を覆うカバーもありませんでした。

設備の整っていない場所での危険な作業なので、当時は人を雇ってもすぐ辞めていきました。あまりにのきつさに耐えかね、半日でどこかに行ったきり戻ってこない人もいたほどです。

これでは人が定着しないと、私が入社して6〜7年ほど経った頃、ついに流れ作業のできる設備を導入しました。そこからようやく人が定着するようになりました。そのときが会社の転換期だったのでしょうね。

––現場を離れたあとは、どういったお仕事をされていましたか?

先代から「事務所へ入れ」と言われて、裏方として会社の帳簿関係を見るようになりました。出納帳や仕入帳、売上帳などの管理業務や、支払い業務などが主な業務です。
会社のお金の流れを把握するところから始め、徐々に会社全体の仕組みを覚えていって、先代から会社を引き継いで今に至ります。

休日の過ごし方・趣味など

––少し仕事の話から離れて…休日はどう過ごしていますか?

ゴルフが好きです。コロナの影響でここ2、3年は行けていないのですが、多いときは年間40〜50回は行っていました。

魚釣りも好きで、釣りは今でも年に数回行っています。社内にも釣り好きの社員が多いんです。コロナ前はよく、保養所がある小豆島にみんなで釣り旅行に行っていました。

小豆島での社員旅行の様子

今はこういうご時世なので控えていますが、以前は毎年のように社員のみんなと日本国内や、海外へ旅行に行っていたんです。
従業員とのコミュニケーションの時間を大事にしたいので、旅行以外でも休憩時間に従業員と話をしたり、飲み会も定期的にやったりしていました。また気軽に旅行や飲み会ができるようになってほしいですね。

『三洋金属のココスキ!』

––みなさんに「三洋金属のここが好き」を伺っています。黒本社長の思う「ここが好き」はどんなところですか?

働きやすい環境ですね。残業がなく、時間どおりに終われて、しっかり休日が取れて、有給休暇も使えます。

これには「一生懸命働いて、一生懸命遊べ」という、先代の言葉が影響しています。
先代は「遊んだから仕事を頑張るのではなく、一生懸命働いてから一生懸命遊ぶんだ」とよく言っていました。この言葉を、私だけではなく三洋金属の全員が受け継いでいます。

仕事のためのプライベートではなく、プライベートのための仕事を。プライベートを充実させるために、一生懸命働こう。
この思想を守るために、働きやすい環境と、仕事とプライベートのどちらも充実させられる仕組みを整えています。

––最後に、黒本社長が目指す目標や、理想があれば教えていただけますか?

当面の課題は事業承継です。
私は今65歳で本当なら定年の年ですが、もう少し頑張って、数年以内には常務へ引き継ぎたいと思っています。

三洋金属は、環境保全を通じて世の中に貢献する会社です。
バッテリーは、不法投棄や適切な処理をせずに廃棄すると、地球環境に悪影響を及ぼします。私たちは徹底した管理のもと、リサイクルを通じて社会に貢献してきたと自負しています。

先代から60年以上続くこの会社を、よりよい形で、より社会に貢献できる会社としてこれからも成長させていきたいのです。
そのためにはどういった形で事業を承継するのが最良か検討中で、将来的には会社をホールティングス化することも考えています。

創立60周年記念パーティーにて

インタビュー第5弾、いかがでしたか?
少しでも三洋金属の仲間たちについて、そして三洋金属とリサイクル業界について身近に感じていただけたなら幸いです。

今後もぜひ三洋金属の活動にご注目ください!